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第4回Seiko Summer Jazz Campで優秀賞を受賞した中国出身のヴォーカリスト

Interview

第4回Seiko Summer Jazz Campで優秀賞を受賞した中国出身のヴォーカリスト

2019年参加者 / ヴォーカル アイヤン

Profile

  • Ai Yang (アイ・ヤン)

    Ai Yang (アイ・ヤン)

    Ai Yang (アイ・ヤン)

    1993年、中国四川省成都市生まれ。小学生の時に合唱教室へ通って中国民謡を歌い、古筝のレッスンを受ける。中学時代に民族楽団に参加。Jポップや日本のアニメソングを好んで聴いた。その頃から日本の文化に興味を持ち、高校時代に独学で日本語を吸収。
    2012年、上海外国語大学に進学し、国際政治と日本語を専攻。在学中はバンドを組んでロックを演奏した。2016年、同大を卒業すると、直後に来日して日本語学校に入学。2017年、洗足学園音楽大学に入学し、ロック&ポップスを専攻。2年生からジャズ・ヴォーカルも学び始め、チャック・レイニーのマスタークラスを受講。
    2019年Seiko Summer Jazz Campに参加し、修了式で優秀賞を受賞。2021年に同大を卒業後、会社に勤務しながら音楽活動を続けている。

海外のポップスに親しみ、古箏のレッスンに通った子供時代

Seiko Summer Jazz Camp(以下SSJC)の卒業生の中では、異色の一人と言っていいだろう。ヴォーカリストのアイヤンは中国で生まれ育ち、日本の音楽を通じて日本文化に興味を抱き、日本語を習得したいとの思いが募って、大学卒業後に来日。音楽大学在学中にジャズの魅力を知ったことで、現在に至る人生の方向性が定まった。

「中国四川省成都市の出身です。子供の頃の家庭環境ですが、家族の中には特に音楽好きはいませんでした。90年代の四川は日本と違って、まだ世界のポップスが流れていなくて、洋楽を聴いた記憶はあっても『タイタニック』の「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(セリーヌ・ディオン)のような映画の主題歌程度。あまり多くはなかったし、音楽と深く関わってはいなかったですね。幼い頃は音域の高い中国民謡を歌っていました。高い声を出すと、大人が褒めてくれたんですよ。国営や地方政府が経営するテレビでは、祝日に紅白歌合戦のような番組があって、ポップス、民謡、京劇を聴きました。
環境が変わったのは2000年代に入ってからのこと。ミュージック・ビデオがついた中国や台湾、香港のポップスが急に流行り始めて、私も慣れ親しむようになりました。
小学校の高学年になって合唱教室で伝統音楽や民謡のポップス・アレンジを歌いました。またテレビで古箏(中国の21弦箏)を見たら音がとてもきれいで強く惹かれたのです。当時は古箏のブームがあって友達もやっていたので、親にねだって小学校4年生からレッスンに通い始めました。中学生の時には民俗楽団に参加しています」。

Jポップやアニソンを通じて日本への憧れが募った中学から大学時代

「中学3年生の時に日本のシンガーソングライターのYUI(2007年「CHE.R.RY」がヒット)や宇多田ヒカル(同年「Flavor Of Life」がヒット)が好きになり、Jポップを少しずつ聴き始めました。中国でもCDを売っていたのです。友達も聴いていました。日本語を勉強しようと思い、こっそりと50音図を覚えて、歌詞をインターネットで調べて理解しました。言葉を身につけながら、日本のアニソンを歌うようになったのです。自分のまわりにバンドはなく、一人で歌っていましたね。歌唱のスキルに関しては、中学生まで学校の音楽の先生が授業で歌を指導してくれたのが幸いでした。
2012年8月、上海外国語大学に入学して、国際政治を専攻。2年生から日本語を副専攻して、正式に日本語を学ぶことができました。上海の若者の多くがバンドを組んでいたことに影響を受けて、私も大学の軽音楽サークルに入り、バンドでヴォーカルとベースを担当。欧米や日本のロック、パンクのカバー曲を、英語、日本語、中国語で歌いました」。

自身のスキルを磨くために移住して、日本語学校と音楽大学に進学

016年6月に上海外国語大学を卒業したアイヤンは、それからほどない同年夏に初めて日本にやって来る。日本語と音楽を学ぶことが目的だった。

「音楽の勉強は中国でもできたことかもしれないけれど、当時はJポップが好きで、日本に行きたい気持ちがとても強くなって、とにかく日本に行って勉強する方法を考えました。そこで中国にいた時に日本語学校を探して、合格した上で来日。まず語学学校に入学したのは、進学先が決まらないとビザが下りない事情があったからです。
在学中、次のステップになる音楽が学べる場所として専門学校のヴォーカル・コースやマネージャー・コースも考えたのですが、やがて音楽を改めて勉強し直したいと思うようになり、インターネットで探して洗足学園音楽大学のオープンキャンパスを見つけました。ロック&ポップス・コースに参加したところ、良い先生に出会い、学校の雰囲気も良かった。親と相談して、とりあえず受験して、受かったら考えようということになり、2017年に入学できました。
洗足ではロック&ポップスを専攻し、ヴォーカルは佐々木久美先生に師事。色々な楽器を勉強できて、先生のレッスンを取れば楽器の練習もできるのが良い点で、パーカッション、ピアノ、ベースに触れました。
2年生から副専攻でジャズ・ヴォーカルを取って、CHAKA(ジャズとポップス畑で活躍する歌手の安則眞実)先生に師事。最初はJポップをやるつもりで洗足に入学したところ、先生や友達が色々ないい音楽を紹介してくれて、そこで私が好きな“ノリ”が見つかったのです。それは元がブルースだったり、このフレーズがジャジーですよと言われたりして、ジャズに対する好奇心が生まれました。中国で生活していた時はほとんどジャズを聴いたことがなかったので、正式に学ぼうと思ったわけです。CHAKA先生から勧められたジャズを聴いて練習。指導を受けるにしたがって、どんどんジャズの世界に入っていきました」。

ジャズ・ヴォーカルの女王として歴史にその名を刻むエラ・フィッツジェラルドの『エラ・イン・ベルリン』に衝撃を受けたのは、このジャンルでの指針になったはずだ。
洗足で行われたチャック・レイニー(el-b)のマスタークラスに参加した時に、ベース・マスターから称賛されて、“Don’t forget your smile”の助言を受けたことは、ヴォーカリストとしての自信に繋がった。ペギー・リー、ダイナ・ワシントン、ナンシー・ウィルソンから刺激を受けて、個性を築いている。

2019年のSSJCに参加してジャズに対する視野が一気に拡張

「SSJCを知ったのは、インスタグラムのコマーシャルを見たのがきっかけで、ウェブサイトから応募しました。ジャズを聴き始めたのは来日してからなので、このようなジャズ・キャンプに参加したのは初めてでした。
ヴォーカル講師のシェネル・ジョンズはとても優しい方。最終日に先生たちと参加者の質疑応答の時間で、私は質問をしました。『迷っていることがあります。プロ・ミュージシャンとして上を目指すほど、さらに上がいる。では自分はどこに身を置けばいいでしょうか?』。別の先生からいただいた印象的な答えは、ニューヨークで活躍している先生方にも同じような悩みがあって、音楽とはそういうものである、と。その時に感動し過ぎて、号泣してしまったのです。そうしたらシェネルが私をハグしてくれて、『どうして泣いているの?』。音楽に関して、子供の頃や、大学入学の時のつらい経験をシェネルに話したら、『私もそうですよ。過去は気にしないで』と慰めてくれた。ハグが温かかくて、キャンプに参加して本当に良かったと思いました。

キャンプの最終日に優秀賞(Most Improved Student Award)をいただきました。自分のどこが評価されたのかは、正直わからないです(苦笑)。自分の名前が呼ばれた時、本当にびっくりしました。同期のみなさんが優秀過ぎて。私はジャズ初心者ですし、音楽に対する理解も浅いし、みなさんに比べて知識も足りていません。
今振り返ると、最終日のガラコンサートで〈キュート〉(ニール・ヘフティ作曲。カウント・ベイシー楽団で有名)に自作の中国語歌詞をつけて歌ったことが受賞理由かな、と思います。それはベニー・ベナックIII(tp)のアンサンブルで、英語歌詞があるけれど自分で中国語歌詞をつけてもいいかな、と思い、2ヵ国語で歌いました。ジャズの名曲を自作中国語歌詞で歌ったのは初めてのことで、中国語歌詞はキャンプ中に一晩中考えて出来上がりました。本番ではミスもありましたが、自分としてはよくできたと思っています」。

洗足卒業後の歩みと現在の思い

洗足の4年次には塙正貴『The Elements』に参加し、前衛的な即興曲にも挑戦。民族音楽を研究するゼミ生の一員として、在学中にパーカッションを学んだ成果としてジャンベを演奏。2021年3月に洗足を卒業し、現在は学校の職員として働きながら、音楽活動を続けている。2022年1月9日には卒業生ライヴのVol.11として、佐藤肖一郎(as)グループに参加し、〈朝日のようにさわやかに〉等を歌って、最新の姿を披露した。

「ジャズ・キャンプを卒業してから2年半が経ちましたが、その経験によって一番感じている収穫は音楽の聴き方です。ニューヨークで活動しているミュージシャンである講師の方々の聴き方が、全然違う。特にヴォーカルに関しては、シェネルから細かいところ、例えばフレーズを聴いて止まって真似するとか、強弱や子音と母音などの聴き方をキャンプで覚えました。その後、自分の練習で取り入れています。
卒業後はコロナ禍のため、音楽活動の制限を感じました。でも活動が制限されたことで、自分に向き合う時間を得たことで、冷静になって自分は何だろうと考えました。ミュージシャンとして自分がどこまで行けるのか?正直に言って今でも迷っていて、はっきりとした答えが得られません。以前は『プロになろう』という目標がありましたが、凄いプロ・ミュージシャンになる方法がわからない。外国人としては日本での活動が制限されているし、現時点では別の仕事をしていないと日本には残れません。
現実的な話では、まだ日本ではフルタイムのミュージシャンになれないのが実情。その環境の中で歌えるチャンスを探り、自分のスキルを磨いてできることに集中したい。色々考えたけれど、考えても無駄なので自分を信じて動くのが今は大切だと思っています」。

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