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米国での定着を目指す第2回Seiko Summer  Jazz Campの優秀賞受賞トランペッター

Interview

米国での定着を目指す第2回Seiko Summer Jazz Campの優秀賞受賞トランペッター

2017年参加者 / トランペット 鈴木風雅

Profile

  • 鈴木風雅 (すずき・ふうが)

    鈴木風雅 (すずき・ふうが)

    鈴木風雅 (すずき・ふうが)

    1999年、愛知県名古屋市出身。
    4歳の時コルネットでクラシック音楽を始める。10歳でジャズに転向。ジャズ・トランペッター日野皓正氏との出会いをきっかけにミュージシャンへの道を志す。同時期に名古屋を拠点に活動しているFree Hills Jazz Orchestraに入部し、数々の大会でベストソリスト賞を始め計11個の個人賞を受賞する。
    高校在学時、音楽科のある高校でクラシックを学びながら、ジャズ・ミュージシャンとしての演奏活動を開始する。2017年のSEIKO Summer Jazz Campでは優秀賞(Most Improved Student Award)を受賞し、同年《東京JAZZ》に出演。
    ニューヨークやニューオリンズなど2度のアメリカへの短期留学と演奏活動を経験。現在は東京に拠点を移し活動中。

ルイ・アームストロングに触発されてコルネットを始め、10歳で迎えた転機

2017年のSeiko Summer Jazz Camp(以下SSJC)に参加した鈴木風雅は、幼少期の最初に選んだ楽器がコルネットで、小学生からトランペット一筋という早熟のミュージシャン。若くして才能を開花させた子供時代の経験について、まずは語ってもらった。

「姉がバイオリンを習っていたので、自分も何か楽器を始めてみたら、という話が出ていた時に、テレビでルイ・アームストロングの特集を見て、衝撃を受けました。同じ楽器がやりたいと思ったのですが、トランペットは重くて手が届かないので、コルネットを選び、クラシックとジャズの違いがわからないまま、4歳からヤマハでクラシックのレッスンに通い始めました。ヤマハには同世代でコルネットを習っていた生徒はいなくて、先生もこんなに小さい子供を教えるのは初めてだと言っていましたね。トランペットを始める生徒は早くても小学校高学年からが一般的だったので。
ヤマハで習い始めてから1年も経たないうちに、ヤマハのコンサートに出演し、幼稚園年長の6歳の時に初めてヤマハ主催の大会に出場。ぼくが最年少の出場者で、予選~本選~全国大会と進んで、特別賞を受賞しました。演奏者にとっては口の形が大きく影響する楽器であり、その点で自分にはフィットしたので、この楽器に向いていたのだと思います。
小学生になってからもクラシックの教則本を中心に練習し、8歳の時にやっとトランペットが持てるようになりました。
10歳の時に三つの大きな出来事がありました。岡崎のワークショップに参加した時、先生として来られていた守屋純子さんと知り合っています。規定では中学生以上が対象だったところ、主催者に頼み込んで参加しました。そこでジャズに出会い、ジャズを聴き始めて練習にも取り入れるようになったというわけです。
二つ目は名古屋のライヴハウスへ日野皓正(tp)さんを観に行った時のこと。最前列に座っていたところ、日野さんがぼくが持って行ったトランペットを使って1曲演奏しました。それに続いてぼくが演奏を促されて〈聖者の行進〉を吹き、日野さんとセッションをして、気に入ってもらえたのです。それ以来親しくなって、ライヴ会場で話をしたり、ライヴ前に少しレッスンをしてもらえる関係になっています。
三つ目は名古屋を拠点に活動しているFree Hills Jazz Orchestraに入部したことです。学校以外でジャズを学び演奏できる場所を探していた時に、このビッグ・バンドを知りました。当時は高校生だけが対象だったのですが、ぼくは演奏キャリアがすでに6年間あったので先生に頼み込んだところ、特別に所属が許可されました。ぼくがきっかけとなって、小中学生にも入部の門戸が広がったのは良かったと思います。Free Hillsには高校3年生まで在籍して、11個の個人賞を受賞しました。
中学3年生までヤマハのレッスンに通った後、もう一度基礎からクラシックを学ぶために、音楽科のある高校へ進学。在学中の学校外ではFree Hillsのほか、サックス入りのリーダー・バンドで、ビバップやスタンダード・ナンバーを中心にライヴハウスで演奏するなど、ジャズ活動にも力を入れました」。

SSJC講師であるトランペッター、ベニー・ベナックとの運命的な出会い

高校3年生だった2017年に、第2回SSJCに参加。高校の友人やFree Hillsの先輩にSSJCの卒業生がいたから、というわけではなく、父親からの勧めで応募したのは、運命の導きだったのかもしれない。

「ジャズキャンプの経験としては、12歳の時に北海道グループキャンプ(寺久保エレナを輩出)等に参加いています。SSJCに応募した最大の動機は、ニューヨークのジャズ・シーンで活躍している方が講師であることで、特にベニー・ベナックの存在は大きかったです。吸収できることはすべて吸収しようと思って参加しました。ぼくにとってヤマハや高校ではクラシックの先生がいましたが、ジャズを誰かに長期間教わった経験がなかったのです。
ベニーのレッスンで驚いたのが、これからジャズ・トランペッターとして仕事をしていく上で必要な技術を教えてくれたこと。普通のジャズキャンプやワークショップは音楽理論や奏法を教えるだけですが、ベニーは違っていて、プロになるためにはどのような練習方法が最適か、を教えてくれました。それがすごく魅力的だと思ったし、初めての経験でとても役に立ちました。
ジャズ・レジェンドのソロをコピーする作業に関しては、すぐに楽譜に書くのではなく、何度も聴いて自分がフレーズ、スケール、ニュアンス、リズム、アクセント、アーティキュレーションのすべて(特に大事なのはニュアンス)を、歌で表現できた後に、楽譜に起こしなさいと言われたのが印象的です。実際に自分でやってみて納得できたし、今でもその方法で勉強しています。
優秀賞を受賞できたのは先生に対して、つたない英語ながらもレッスン以外の場所を含めて、参加者の中でぼくが一番積極的に質問をしていたので、それが評価されたのだと思います。他の参加者から、自己アピールのための質問ではないか?と言われましたが、自分としては貴重な時間を最大限に活用したい気持ちが強かった。
ミスをしないように頑張る参加者が多いと思うけれど、あの賞の良いところは一番上手な人を選ぶのではなくて、キャンプ中に最も成長した人を選ぶこと。できなかったことができるようになることが一番大事なので、積極性が大切だと思いながら参加しました。
キャンプに続いて行われた《東京JAZZ》の野外ステージでは、「New Century Jazz Quintet with Jazz Campers!」と題した20分の共演も、貴重な経験になりました。
SSJCはミュ-ジシャンを目指す同世代の人や、素晴らしいミュージシャンである講師の方々と繋がりが作れる機会なので、できるだけ長く続いたらいいなと思います」。

2度の米国武者修行を通じて実感したトランペッターとして進むべき道

「最初の渡米は2019年1月で、ニューヨークに1ヵ月滞在。事前にベニー・ベナックに連絡をとって、宿泊地を決めた以外は、何も決めずに一人で渡りました。ベニーはとても親切に世話をしてくれて、色々な場所でトランペットを吹かせてもらったし、ベニーのライヴにも数多く行きました。
SSJCで知り合った先生のライヴにも行って、そこで話したり、飛び入りで演奏して他のミュージシャンにも自分を覚えてもらいながら、ネットワ-クを広げました。ぼくは英会話が不得意ですが、熱意が伝わればコミュニケーションができるものだと感じています。
この時の滞在でわかったのは、ニューヨークのミュージシャンにとって普段演奏する曲、彼らにとってのスタンダード曲が日本人とはまったく違う、ということ。日本でライヴを聴いたり、ジャム・セッションをやると、日本人の訛りみたいなものがあって、フレーズも違います。ニューヨークのミュージシャンと現地で共演してみて、自分の演奏から日本で勉強したことよりも、少しずつNYに近いフレーズが出るようになったのが嬉しかったです。
1ヵ月の滞在で得たものは、帰国して時間が経つにつれて次第に薄くなったけれど、それは一般的にも言える現象。センスが薄れるというよりも、自分が下手になっていると考えてしまいがちで、ネガティブなイメージの良くない方向へ行ってしまう。その時ニューヨーク在住の日本人ミュージシャンから、『それならばまた来ればいいんだよ』とアドバイスされて、その言葉を胸に刻んで練習に励みました。

2回目の渡米は2020年、20歳の時で、ニューヨークに1ヵ月半とニューオリンズに2週間。ニューヨークでは同世代のミュージシャンと比べて、前回以上に技術の違いを痛感してショックを受けましたが、自分に足りないものが何かを知ることができました。
続いてニューオリンズへ移動。同地について何の知識もなく、ルイ・アームストロングの生地だということだけで行ったのです。
実際に感じたのは上手いトランペッターとドラマーが多くてレベルが高いこと。その理由を自分の中で考えた時に、パレードが多いことと、トランペットを中心にバンドが動いていることだと思いました。現地のミュージシャンがニューオリンズの歴史と文化を大切にしていることがわかったのも収穫です。
初日に有名なプリザベーションホールへ行った時、出演中だったブランドン・ルイス(tp)に出会えたのも収穫でした。『3時間前にニューオリンズに着いたんだ。とてもいい街だね』と伝えて、ぼくが〈マック・ザ・ナイフ〉を吹いたところ、すごく気に入ってくれて、その日の次のセットで共演。それがきっかけでブランドンが街中のトランペッターにぼくのことを知らせてくれたので、みんなと仲良くなれました。毎日4時間、現地のミュージシャンと共演していましたね」。

自分を変えたニューオリンズ・ジャズへの思いと将来の夢

鈴木風雅は2018年に東京へ拠点を移して、現在はライヴを中心に音楽活動を継続。2度の米国での経験によって音楽性の幅が広がったのは、成長の証と言えるだろう。

「ニューオリンズを訪れたことをきっかけに、自分の演奏スタイルにニューオリンズ・ジャズを取り入れるようになりました。ビバップやハードバップ、最近のニューヨーク・ジャズも演奏しますが、ニューオリンズ・ジャズの仕事も増えています。パレード、ブラスバンド、トラディショナル・ジャズ・バンドで演奏。年齢差が50歳の方といっしょに演奏することもあって、勉強になります。
最も影響を受けたトランペッターは、やはりニューオリンズ・ジャズの父ルイ・アームストロング。トランペットとスキャットのフレージング、リズム、スウィングのすべてを尊敬しているし、世界に与えた影響力を考えると、ルイが最高のトランペッターだと思っています。トランペッター以外ではドラマーのシャノン・パウエル(プリザベーション・ホール・ジャズ・バンド)を含めて、ニューオリンズにすごく影響を受けています。
今後の希望としては、アメリカに長期滞在して、ニューヨークとニューオリンズを拠点に現地のミュージシャンと共演して、もっと音楽とジャズ全般を学びたい。《ルイ・アームストロング・ワンダフル・ワールド・フェスティバル》に出演するのが夢です。良くも悪くも自分の演奏は目立つと思っていて、技術を見せるというよりも、自分の演奏を聴いて楽しんでもらえることを心掛けながら、いつも演奏しています。
SSJCに参加される方は4日間のキャンプで積極性を持って、楽しんで過ごしてほしいと思います。英会話が苦手のぼくでもそれができたので、通訳さんを頼ってどんどん質問すれば、必ず大きなものが得られるはずですよ」。

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