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卒業生ライブのクラブ・オーナーが考えるジャズとSeiko Summer Jazz Camp

Interview

卒業生ライブのクラブ・オーナーが考えるジャズとSeiko Summer Jazz Camp

ジャズスポット・イントロ/カフェ・コットンクラブ オーナー 茂串邦明

Profile

  • 茂串邦明(もぐし・くにあき)

    茂串邦明(もぐし・くにあき)

    茂串邦明(もぐし・くにあき)

    1951年、静岡県富士市生まれ。3歳で上京し、19歳まで中野区在住。高校時代に兄の影響でジャズを聴き始める。高校を卒業し、ジャズ喫茶開業を決意。アルバイトとレコード店巡りの日々を送る。71年、水道橋のレコード店トニイで働き始める。75年、高田馬場にジャズスポット・イントロ開業。84年、同地にカフェ・コットンクラブ開店。89年、イントロで月1回のジャム・セッションがスタート。2年後には週1回に拡大。91年、40歳でドラムを始める。2006年、カフェ・コットンクラブを地上1、2階に拡張。2011年、新橋カフェ・コットンクラブ開店。現在、高田馬場カフェ・コットンクラブでSSJCの卒業生ライブが開催されている。

ジャズ・リスナーからジャズ・スポット・オーナーへ

茂串邦明氏は東京・高田馬場でジャズスポット・イントロを振り出しに、40年以上にわたって飲食店を経営している実業家。そのジャズ・キャリアについて語っていただいた。

「高校生の時にスタン・ゲッツ(ts)の〈デサフィナード〉(『ジャズ・サンバ』62年)を聴いて、かっこいいと思ったのがジャズとの出会い。アルバイトをひと夏やってお金をためて、7万円のテナーサックスを買ったの。唇から血が出るほど練習したけれど、半年間やって自分の才能に見切りをつけた。
高校を卒業した18歳の時に、ジャズ喫茶を始めようと思ってレコードを集め始めたのがイントロの原点。19~23歳に水道橋のレコード店トニイで働いたのが、レコード修行の時代だった。都内の中古店を毎日まわって、レコードを漁っていたんだ。
当時、西武新宿線の沼袋に住んでいて、高校生から通っていた新宿にはジャズ喫茶がたくさんあったので、埋没してはいけないと思い、二駅隣の高田馬場に決めたの。街の様子も知っていたし、早稲田大学や予備校があったから若者客も見込めた。高田馬場にはジャズ喫茶がほとんどなかったんだ。開店時のレコードは4000枚。当時のジャズ喫茶では珍しく、駅前でチラシを配ったり、『スイングジャーナル』(ジャズ専門誌)に一面広告を打ったりして集客に努めた。それが功を奏して最初の数年間はお客さんがたくさん入ったね。

70年代はリターン・トゥ・フォーエバーのようなわかりやすいジャズや、クロスオーバー~フュージョンが出て、ジャズが広まった時期。そこに重なったのもジャズ喫茶業界が盛況だった原因だと思う。若者が『ジャズって何だろう?』と聴き始めた時代で、イントロでもアコースティック・ジャズとフュージョンを同じように扱っていた。大ヒットしていたキース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』のリクエストを受けた時は、1曲が長いので、泣きのフレーズが出てくるところからフェイドインしてかけていた。レコードの溝を見ながら音を見るというか。面白い時代だったよ」。
イントロが開店から節目を迎えた2015年には、「intro ジャズスポット・イントロ 開店40周年記念誌」を刊行。茂串氏の詳細な個人史、日野皓正(tp)との対談、常連からのメッセージ、茂串氏編の「John Coltrane Discography」等、ボリュームたっぷりのオールカラー298頁である。

イントロのセッションがカフェ・コットンクラブへと発展

「30年くらい前に“早稲田スイング&ジャズ”っていうジャズ・サークルを作った早稲田理工の学生たちが、イントロで月に1回セッションをやらせてほしいと言ってきた。大学では手狭だったんだな。それで店にドラムを入れて始めたら、だんだん面白くなって、週1回になり、ピアノも入れたの。
そうこうするうちにオレもドラムをやりたくなって、40歳で始めた。店に来た若者にスティックの持ち方から教えてもらって。それから30年やってきて、すごく回り道をしたけれど、得るものも大きかった。まだなかなか上手くならないけど(苦笑)。一つ思ったのは、何でも教われば近道がわかるけれど、オレの場合は一個一個の発見が楽しいんだ。
金はないけれど才能がある若い連中が来て、それが今も続いている。それでSSJCに行った奴も店に来るようになって、そこで初めてSSJCを知り、佐々さんがプロデューサーをやっていることも知った。
84年に地階にカフェ・コットンクラブを開業し、2006年に同じ建物の1、2階が空いた時に、その2フロアーも借りることになったので、キッチンを1階に移して、地階にステージを作った。都内にライブハウスはたくさんあるし、同じようなことをやってもダメだと思って、イントロに来ている若い奴らのセッション場所にしようと、“花金ジャズ・セッション”を始めたの。でも若い連中だけだと成長しないから、そこに経験のある年長ミュージシャンも呼んで、それを核にセッションをしようと目論んだ。単に日本の著名ミュージシャンの演奏を聴いてもらうのではなく、彼らに若者が立ち向かっていくセッション道場のような場所を作りたかった。
昔は無名の若手だったのが、時が経つと有名になる。イントロ関係者で言えば、若井優也(p)、佐藤ハチ恭彦(b)がそう。海野雅威(p)も学生の時からイントロに出入りして、オスカー・ピーターソンみたいなピアノを弾いていた。NYから帰ってきた時に、彼の発案でコットンでミュージシャンとのトーキング・セッションをやった時は、SSJCの若い連中も来て、質問コーナーの後、最後にセッションもしたな」。

茂串氏が考えるSSJCの意義と協力関係

2021年6月からはSSJCに参加したミュージシャンによる「卒業生ライブ」が、高田馬場カフェ・コットンクラブでスタート。これまでに濱田省吾(ds)、及川陽菜(as)、 曽我部泰紀(ts)、治田七海(tb)、大友一樹(p)、布施音人(g)が出演し、好評を得ている。

「SSJCはイントロの発想に近いよね。オレが『こういうことをやったらいいな』と思ったことを、SEIKOさんと佐々さんがやっている。すごくいい仕事をしている。日本のジャズを育てる要だよね。時が経てばSSJCの卒業生が日本のジャズ界のリーダーになるかもしれない。学生時代は慶応ライトミュージックのドラマーで、今もセッションで叩いている名手の佐々さんがプロデューサーだから、若い連中も『負けてられない』って思うだろう。いい刺激になっていると思うよ。
SSJCは今、才能ある若者を集めている。それは素晴らしい仕事だから、それを続けて、どれだけクリエイティブでオリジナルな音楽を作る若者を発掘するか。そういうことをSSJCの目標にしてもらいたい。その若者が世界的に有名になったら、SEIKOの腕時計をして演奏するコマーシャルを作ってもいいんじゃない?“音文化を時で繋ぐ会社SEIKO”って感じだね。
大林武司(p)や中村恭士(b)やNYのミュージシャンが講師で、彼らと一緒に学べるだけで喜びのはず。そういう経験が自分にとっての蓄積になって、ジャズの演奏だけでなく、自分の成長に繋がる大事なことになる。
佐々さんから卒業生ライブの相談を受けて、コットンを提供することにした。今まで卒業生ライブを4回観たけれど、音楽的にまとまっていて、みんなすごく上手い。よく研究しているし、人間的にもいい子たちだし、昔みたいにテキトーな奴はいないの。今後の課題は、優等生な音楽から脱却して、どれだけ自分の個性、不良の音楽ができるか。それを考えながらこれからやっていけば、新しい自分の世界を表現できると思う」。

一流のアーティストとは

「オリジナリティとクリエイテビティを持っていること。自分が発見した何かをやる、自分だけの世界を作る強い気持ちを持つことが大事。日野さんから大西順子(p)を含むメンバーでライブをやるウォーミングアップのためにコットンを貸してほしい、と言われたことがあった。彼らがセッションをすることになったので、若者に観に来るように声をかけたところ、日野グループと若者の共演になったの。若者は一流ミュージシャンから盗むつもりで気合満々。演奏だけじゃなく、立ち居振る舞いからも何か吸収するものがあるわけだ。
日野さんがその時に言った印象的な言葉は、『俺たちはみんな兄弟だから。ルイ・アームストロングもマイルス・デイビスもブラザー』。この“ブラザー”っていうのは、ジャズを発展させていく気持ちを共有している仲間意識のこと。この日のコットンはそれが感じられる場だった。だからSSJCで学んだ若者が、次の世代に伝えていくといいと思う。一流ミュージシャンから若手が話を聴く場所を提供できることは、オレの喜びでもあるんだ」。

SSJC参加希望者やミュージシャンを目指す若者に向けて

「『努力するより夢中になれ』と言いたい。夢中になると、ある時、大きな発見がある。オレもドラムを叩くようになって、聴こえなかった音が聴こえるようになったり、色々なものが見えてきたから。
今は副業がOKの会社もあるので、平日の夜や週末にライブハウスで演奏している若者も多い。プロと言っても専業ではなく、兼業の時代が来つつある。音楽の才能がある奴は頭のいい人間が多い。だから会社でも能力を発揮するし、クビにならない。そういう人が増えてくれば、いいと思う。プロという言葉にこだわる必要もないんだ。アマ、セミプロという言葉では語れない優秀な人間が出てきているよね。
人生で勝つのは大変なことだから、いかに負けていくかと。そこまで考えられれば、結構いい人生が待っている。SSJCの応募で振るい落とされたら、それを楽しめばいいんじゃない?ダメなら次の年にまた応募すればいい。SSJC以外の場所もあるだろうし。落ちたら、喜べばいい。自分はすごい才能があるかもしれない、オレの才能がわからないんだよ、って。その時はイントロに来いよ。若い連中からは“カネを取る部室”って言われているけど(笑)」。

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